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サクッと読めるショートコラム

あみれのきまぐれショートコラム。

0時過ぎは魔法の時間

満足ショート

0時を過ぎると1日が伸びたような感覚になる。

夜中の2時まで起きれば、一日が24時間から26時間になる。自分だけに与えられた、特別な時間。これは何かの魔法。そんな気分になる。

でもそれはもちろん錯覚で、翌日が24時間から22時間に減っただけのこと。眠気とだるさが体に残ったまま朝を迎えたとき、1日は24時間以上にならないことを身をもって実感する。

「一度できれば、一生できる」なんて嘘だ

満足ショート

自転車は曲がれたのに、今はまっすぐしかこげない。スケートは手を離して滑れたのに、今は離せない。

ついさっき、自動車乗ったときの想像してみたけど、初期状態に戻っていそうで怖い。曲がる前にとまる、信号に気づかない、歩いている人と同じくらいのスピードで走る。

世の中のほとんどのことが私には不可能に思えることがある。私は不器用で容量も悪い。人がすぐに理解できることを、いつまでたっても理解できないことがある。

それでもやってくる明日のために、自分を励まして元気づけるしかない。

歌詞が聞こえない音楽

満足ショート

歌の入った音楽でも、歌詞が聞こえないものがある。原因は大体このあたり。

  • 早口すぎる
  • イントネーションや発音が独特
  • 他の言語で歌っている

歌詞が聞こえないときは、歌を音の一部として聴く。

ここで「歌詞がいらないということか」と聞かれそうだけど、歌がなければまた別の音楽になる。全体的に聞こえない歌でも、聞こえる部分は歌詞として捉えている。つまり、歌詞が聞こえなくても歌は必要。

全てが音に聞こえる音楽は、仕事や作業をしているときに最適で心地よい。頭に余計な言葉が入ってこないので、気が散ることなく癒される。

歌詞が聞こえると、何度も同じ話を聞かされている気分になることがある。きっと私の好きな「歌詞が聞こえない音楽」の中には「歌詞が聞こえないからこそ好きな音楽」もあるのだろう。

SNSとわたし

たらふくショート

はじめてのSNSは中学生の頃にはじめたfacebookだった。当時はまだ日本ではmixi全盛期で、facebookは海外に知り合いがいる人しかはじめていなかった。SNSは身近で仲のいい友達がやっていないとつまらないので、1年くらい放置していた。

mixiは招待制だったため、始めるのは全盛期の手前くらいだった。今考えると足跡機能という本当にいらない機能がついていたなあ、と思う。それでも知り合いの日記を読むのは新鮮で、しばらく夢中になった。

高校時代には周りもfacebookに移行していた。友達になっている人の更新情報がすべて掲載されるタイムラインがあり、ひとりひとりのページを見に行かなくても見ることができ、とても見やすかった。高校生の時は旅行以外に写真を撮ることはなく、アップする機会が少なかった。大学時代ではたくさん写真を撮ったので、よく利用した覚えがある。今では、身近でない知り合いの情報ばかり更新されるので、ほとんど開いていない。

高校の途中で知ったtwitter。やはり、まだ知り合いはほとんどやっていなかったので、アカウントを作って放置。大学生になるとtwitterを始めている人が増え、夢中になった。今でも気軽に文章を投稿できるので、好きなSNSのひとつ。

instagramはつい1年半ほど前に使い始めた。いつも通り存在は知っていて、アカウントはもう少し前に登録していたけど、いつだったか覚えていない。このSNSのおかげで、写真の撮り方と加工がうまくなった気がする。タイムラインが1枚ずつしか見れない点が不満。

tumblrやpinterestもやっていた。2つとも、そのまま忘れ去られるSNSだと思ってたけど、最近になってpinterestがランキング上位のアプリになっているのが不思議。現在、気になっているSNSはブログとツイッターの中間のようなmedium。

 

ここまでSNSをやっていてわかるのは、新しいSNSを早いうちに知っても、仲のいい友達や気になる著名人がやっていないとおもしろくないこと。結局、人気になり始めてから本格的にSNSを見始める。

自分の身近では考えられないような言動の人間

満足ショート

中高一貫校、有名私立大学ときているので、私の周りの人間はほとんど似たような考え、または想像範囲内の範疇の考えを持っている。私はその環境での常識を世間一般の常識だと思っている一方で、そう思えない人が大勢いることも知っている。

ネット上の発言を読んでいると、私の常識では考えられないような内容を主張している人がたくさんいる。かなりの頻度で自己中心的な内容や心の歪んだ内容の投稿が注目ランキングに出ているのを目にする。「炎上マーケティング」という言葉があるくらいだから、本心なのかはわからない。それでも、話を盛っている程度で主張について思うところはあるのだろう。

どうしてネット上にはここまで自分の常識と外れている人が大勢いるのか。ネット上では匿名で本心を隠さず発言できる場所でもある。差別的な主張や偏狭な考えは口に出して言わないだけで、心の奥底では思っているのかもしれない。現実の世界では生活に関わるような利害があるため、建前で話していないだけかもしれない。

軽いノリの文章が苦手

満足ショート

硬い文章が嫌いな人や絵文字だらけの文章が苦手な人はネットを見る限り、一定数いる。そして私は軽いノリの文章が苦手。

「〇〇なんですよね」

「〇〇なんですよ」

このような表現をみると、一瞬でページを閉じてしまいたくなる。生理的に無理なのかもしれない。

まるで、親しくないのに親友のように親しく接してくる人のように土足で頭の中に入ってくる。初対面で肩を組んでくるように感じる。

最近では、いろんな場所でこのような表現はよくみかける。おもしろそうな記事でも、台無しになる。

「普通のOL」、「平凡な主婦」と自己紹介することについて

小腹ショート

自分のことを「普通のOL」や「平凡な主婦」と紹介する人がいる。心の底で自分のことを「どこにでもいる」、「なんの取り柄もない」、「価値のない」と思うからこそ出てくる表現。

ただの表現として使っている人がほとんどだと思う。無意識に出てくる表現は怖い。劣等感や自己嫌悪があるからこそ出てくる。

大人の女性は髪が短いほうが魅力的

たらふくショート

若いころは大抵の場合、髪にツヤがあって、スタイリングやアレンジして気遣っている。そして歳をとるにつれて自然とツヤがなくなって、髪にもあまり力を入れなくなる。そのかわり、洋服や小物のセンスやメイクに力が入る。

外見の主役が髪から洋服に移ると、長くてツヤの減った髪は邪魔になる。どんなに素敵な洋服を着ても、肝心の洋服が目立たないから。

わかりやすく「短いほうが魅力的」と書いたけど、例外として、きれいにまとめた髪も洋服が目立つという点で魅力的な部類に入る。歳をとってもツヤをキープしている人もいて、それも魅力的だと思う。

このことを思ったのは、先日はあちゅうさんの写真を久しぶりに見てから。

ちなみに私はファンでもなく、むしろ「どちらかといえば好きではない」部類に入る。好き嫌いは別として「なぜ彼女に惹かれる人が多いのか」という点で興味がある有名人の一人。今回は外見の話なので、彼女の文章については置いておきます。

髪を切っただけで、印象ががらりと変わったと思った。

切る前はロングヘアにコテの形がそのままついているような巻髪で、一昔前の赤文字系を連想する髪型だった。文章や活動からは明るい性格だとわかるはずなのに、前髪が長くて目にかかりそうで、髪型だけで自信のない印象。そのせいか、「モテ」、「恋愛」、「自分が好き」といった言葉が合うイメージ。

ミディアムヘアで毛先を軽く巻いているだけのスッキリした髪型で、以前より好感が持てる。おでこが少し見えるのも「自分が好き」から「自信のある」イメージに変わった。外見からは「仕事ができそうな気の強い女性」という印象になった。

すごく個人的な話になるけど、今の私はミディアムヘアで、現在は髪を伸ばしている途中。人生で最後のロングヘアになるかもしれない。

 

あみれ

1カ月後にも自分の書いた文章が気持ち悪いと思いたい

満足ショート

1ヶ月前に書いた文章がわかりづらくて気持ち悪い。

書いた直後は「これ以上、今の私では修正できる場所は見つからない」と思っています。1カ月くらい経つと、修正箇所が山ほど出てきて、読みづらい、わかりづらいと感じるのに、本当に見つけられないんです。

もちろん、雑に書きっぱなした文章ではなく、わかりやすく丁寧に心がけて、何度も修正して書いた文章です。

文章を書くときに気をつけているのは、サッと読んだときに読みやすいこと。具体的には、文章をつなげない、漢字をひらく。

以前は「だ調」、「である調」でしたが、最近は話し言葉で書いています。
他に気をつけているのは、3度以上読み直すこと。どんどん修正する箇所がみつかります。
それと、同じような表現を避けるために類語を調べています。

過去に書いた文章は後で見ると、下手としか思えないけど、だからこそ改善点は見つかるし、少しずつ上手くなっていくはず。

今の文章を1カ月後に読んだときにも「気持ち悪い」と思いたい。その気持ち悪さは、以前より読みやすい文章になっているからこそ得られる気持ちなんだと思う。

 

あみれ